流行に対するバリアの正体
先日メイソンジャーについての記事を書きました。
メイソンジャーが流行りだしたころは、「あんなのただのビンじゃん」と思ってました。「おしゃれなだけじゃん」「サラダは食べづらくないのか?」と思ってました。
その頃は、「自分とかかわりのないどこかのおしゃれな人たちが勝手に使って盛り上がっている」というようなわけの分からない疎外感のようなものを感じて、なんとなく斜に構えていたんです。
しかし、使ってみようと思ったきっかけが訪れました。
職場の人が使っていた(昼食に持ってきていた)んです。
その時に、メイソンジャーはどこかの知らないオシャレな人たちの中での流行じゃないんだと感じたことを覚えています。
その後使ってみたところ、使いやすいし、見た目も楽しめてとても気に入りました。
流行に対してバリアを張ってしまうときって、疎外感だったり、身近さを感じられないときなんじゃないかな、と思います(あと、単に「消費させよう」という誰かの魂胆を感じた時。でも、それを気にしていたら何も買えないと思います)。自分の身近に使っている人がいたとしたら、平気でバッシングはできないんじゃないでしょうか。自分とかかわりのない人たちのことだから、あれこれ文句が出てくる。少なくとも私はそうでした。
流行に乗っかりすぎてあれこれ手を出すのは浪費にもなるしモノも増えるしよくないことだらけだけれど、あまりにもバリアを張りすぎるのも、自分にとっての良いモノを見逃してしまうことにつながるかもしれないと思います。
そんなことで、これからは流行とも必要があれば付き合ってみるつもりです。
さっそく、今日のお昼は「おにぎらず」にしました。美味しかったです。
今日のBGM
フランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」